人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ピアニスト&ピアノ講師 村田智佳子のブログ

ピアノ弾きの日常、想い、ロシアのこと、レッスンのこと、コンサートのことを綴っています♪

お別れ

2017年9月1日、恩師であるエレーナ・アシュケナージ先生がモスクワにて旅立たれました。
第一報を頂いたのは移動の車中。
ショックが過ぎて、何がなんだか。
頭が混乱しました。




それからの1週間。
仕事以外の時間は、動きたくても動けない、やることをやらなきゃと思っても、体と心がついていかない日々でした。
ピアノを弾けば先生との日々が思い出され、FBでは多くの悲しみの追悼。
ただひたすら本を読んだり、料理したり、そうでもして他のことに集中していないと心がはちきれそうでした。




こんなでは先生が悲しむから、頑張らないと、と思えば思うほど心は焦り。
無気力な自分を責めました。



やっと少し落ち着いてきました。
先生との時間は、とても一つのブログに書ききれません。
ただただ先生への感謝を。
ゆっくりお休みくださいの気持ちを伝えられたらと思います。
個人的な文章になってしまいそうです。
すみません。





エレーナ先生はモスクワのモスクワ音楽院付属中央音楽学校(今、奥井紫麻ちゃんも通っているЦМШ)などで25年間も教授活動を続けながら演奏活動をされていました。




日本の武蔵野音楽大学の客員教授として来日されたのは1995年。
(ご主人である、バイオリンのフェイギン先生とご一緒に)
2016年12月にモスクワにお帰りなるまで20年以上も日本でご指導されていたわけです。
現在、先生の多くの生徒さん達がピアニストとして活躍されています。




また、日本音楽コンクールなどの審査員も務め、日本のピアノ界に多大な影響を与えてくださいました。
そしてご自身も演奏活動を続けられ、旦那さま、フェイギン先生とのデュオ。またコッホ幸子先生とのピアノデュオのコンサート。いずれも、私の心にはその時の感動が今でも蘇ってきます。





私は大学3年生から大学院の4年間、師事していました。
そしてその後モスクワ留学後も、たまに帰国してレッスンを見ていただいたり、遊びに伺ったり。
モスクワから帰ってきた後は、約7年間。
紫麻ちゃんの通訳としてほぼ毎週先生のレッスンを拝見していました。
ということは、先生と出会って約17年くらい?
ちゃんと数えたことがなかったのでびっくりです。




大学時代、以前ブログにも書きましたが(こちらです)本当に厳しかったです。
でも、ものすごい充実した深い時間でした。
レッスンの前日は胃が痛かった。
苦しかったのは、多分、あんなに一生懸命に熱心に、あんなに本気に向き合ってくださる先生の要求を、すぐ理解して音楽にできなかった自分への不甲斐なさです。練習してもしてもダメで、もうどうしていいか分からなかった。そんな手のかかる生徒を見捨てず、諦めずに、厳しさの後ろにある多くの愛情を持って接してくださいました。(そしてそんな不出来な私をフェイギン先生はいつもフォローしてくれました)




あのレッスン室での先生との時間は先生の生き様そのものだった、と今思います。




モスクワ留学時代前、本当にロシアに住めるのか、モスクワに旅行に行きました。
その自由時間を使って、エレーナ先生のお宅に遊びに行きました。
4月はじめ、その年はまだ雪があって寒かった。
ノーブイアルバート通りで待ち合わせした先生の姿は、日本でお会いしている時よりリラックスしていて、さらにキュートで。
先生と友人とモスクワの街を歩いて、ここだったら生活していける。
そう思いました。




そしてモスクワ留学直前。
テロが続いていました。
両親やいろんな方が心配してくださり、自分自身も本当に今行くべきなのか、大丈夫なのだろうか、不安になり、多分出発の前日(か前々日)に、エレーナ先生にお電話しました。(記憶が間違っていなければ、不安過ぎて、泣きながら)
その時先生は「どこにいたって同じよ。何かある時はあるし、特別モスクワが怖い場所であるわけじゃない」そうきっぱりおっしゃってくださいました。



その言葉で腹が決まりました。



留学後は先ほど書いた通り、本当にたまにレッスンしていただきました。
怖かったです、昔を思い出して。
でもとても嬉しい言葉をいただきました。
「chikako、変わったね。頑張っているんだね」と。




そして昨年までの約7年。
7歳の小学生紫麻ちゃんと、エレーナ先生との出会いから、ご一緒させていただきました。
毎週のレッスンは今までの多くのブログに書いてきた通りです。
先生の素晴らしい導き、そしてそれを誠実に受け入れ、自分の音楽を築きあげていく紫麻ちゃんとの間に生まれた時間を横で見ていて、「あー先生と紫麻ちゃんは出会うべくして出会ったお二人だ」そう強く思いました。




紫麻ちゃんが小さな頃は、私に向けても、アドバイスをくださいました。
こうしたシチュエーションの場合、どう子供さんを導くか、ということです。
7年間、レッスンそのものが全て全て学びでした。
どうして私なんかが同じ空間にいることができたのか、不思議なくらい宝物の時間でした。
そして、大学時代と同じく、先生のピアノ、音楽に毎週触れることができたのが最高に勉強になりました。




昨日夜、先生&紫麻ちゃんのレッスンの時に書き留めていたメモ帳を集めました。




今後、これをまとめていこうと思います。
先生のメソッドがいっぱい詰まっている大事なメモです。




こうして17年(?)もの間、先生とご一緒できたこと。
その時間を次の世代に繫いでいく為に何ができるか。
もう一度、自分自身の生き方を見直さないといけません。




大事な大事なメモをまとめながら、じっくり向き合おうと思います。




先生が旅立たれた日、まだその悲しいお知らせを知らずに、久しぶりにスクリャービンを弾きまくっていました。
そして、またソロのレッスンに通わないとな、と思っていた矢先でした。
先生が背中を押してくれたのかもしれません。




そしてロシア語。
週2回、オンラインでロシア語を習っています。
しっかり続けて、例えば先生がFBに残してくださってるロシア語の素晴らしい記事を訳したりしながら、将来的に何かに繋がっていけるよう、コツコツ継続していきます。





♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪




大好きなエレーナ先生へ



多くの大切なことを教えていただき、本当にありがとうございました。
決して出来のいい生徒でなかったのに、あんなに熱心に、諦めずに一緒にいてくれてありがとうございました。

この前の3月にモスクワでお会いした時、
「ただなんとなくモスクワ来たの?」
と聞かれて
「そうです」
と言いましたが。
本当は先生にとても会いたかったからです。
留学から帰って8年近く、モスクワ行きたい行きたいと口だけだった私が、モスクワ行きを決めたのは、ただただ先生に会いたかったからです。
先生のおかげでモスクワに行くことができました。
これからは頻繁に伺おうと思います。
あの時、薄着だった私にたくさんの暖かな着るものを貸してくださりありがとうございました。
心も温まりました。

そしてあの時、ご飯を食べながら先生は笑いながらこうおっしゃってくれましたね。
「チカコはもうロシア人だからね」
何故かとても嬉しかったです。

そしていつでもモスクワで待っているから、と言ってくれたのを覚えていますか。
言葉通り、待っていてください。
どうぞ紫麻ちゃんのこともいつまでも見守っていてください。
そしてもちろんフェイギン先生のことも。

本当に本当にありがとうございました。
チャーミングで、聡明で、厳しくもとってもあったかい先生が大好きです。
あのキラキラなピアノの響き、重厚な低音の鳴り、息の長い歌うような旋律、とても繊細な和声感、生き生きとしたリズム、メランコリックな音色、芸術的な間、空間、それ以外にも沢山。先生のピアノが、音楽が大好きです。


もう少しだけ悲しみが和らいだら、また頑張ります。
先生、ゆっくりお休みください。
でも、いつも側にいてください。
近く、モスクワに行けたらと思います。
большое спасибо.

chikako










by chikako-kokachi | 2017-09-14 07:27 | ロシアメソッド